20210805 追記
① 「仕事をする(=働く)」上で大切なことは「誠実で勤勉」であることだと思います。それはわれわれがその仕事の受益者として最も強く期待すること(誠実かつ勤勉であってほしい…と思うこと)であるはずです。
② 「仕事」そのものについては…筆者は「正確・迅速・丁寧」だと思います。「正確」を「的確」、「丁寧」を「親切」に置き換えても良い。これもわれわれがその仕事の受益者だとしたら最も強く期待するところです。
③ 仕事をする(=働く)上での、対人的なマネジメントの観点から言えばどうでしょう?…「真摯さ・公平さ・人間らしさ」ではないかと、筆者は今のところそう思います。
それは、人間という存在や、人間的価値、人間性(ヒューマニティー)の追及や実現に対する真摯さや敬虔さです。人間に対する、社会的・歴史的観点における公平さ(フェアネス)です。「其れ、恕か」と言い換えても良いと思います。
20230715 追記
「誠実と勤勉」は、おそらくかつては「資本主義の精神」の支柱であったことだろうと思います。「謙虚と敬虔」が同時にそうであった時代に…。それは同時に「資本が労働を支配する(搾取する)原理」であったのかも知れません。
しかし、「誠実と勤勉」や「謙虚と敬虔」は、自らを律すべき価値観ではあっても、人に強いるべき価値観ではないだろうと思います。それを人に強いた途端に、それは人を支配し、自由を奪い、搾取する原理に陥ってしまうのだと思います。
<以下原文>
1.「誠実で、働き者」であることの尊さ
誠実であることとは、分かりやすく言ってしまえば、例えば「嘘をつかない」「誤魔化さない」「謙虚である」ことであり、主体的で責任感があり協調性や倫理性が高いことです。「信用するに足りる」ということです。
「働き者」とは、「怠けない」「手を抜かない」「いい加減にしない」「最後まで責任を持ってやりきる」人であり、「皆の嫌がることでも、自分が辛いことでも、損なことでも、必要なこと、やるべきことをやり切る」人です。
嘘をついて、誤魔化して、いい加減で、怠け者で、口先だけで、浅薄で、自分だけ上手に楽をして得をしたように見える人は、遅かれ早かれその本質を見透かされて、やがて体よくその組織や企業から放逐されてしまいます。
2.パートナーシップの黄金律
「誠実で、働き者」であること、とはいかにも陳腐な道徳律のようですが、結婚でも採用でも、およそ何らかのかたちで「パートナーを選ぶ(パートナーシップを取り結ぶ)」上ではむしろ不朽の黄金律であると筆者は思います。
企業とは一定の目的を達成したり、価値を実現したりする人と人の協動体ですが、資本主義の世界では主たる企業は概ね私企業(営利企業)であり、その目的や価値は究極的には「資本にとっての利潤」に還元されます。
資本主義体制下の営利企業にとっては「それで良い」かも知れませんが、そうした企業の中で働く一人ひとりの人間にとって「働く目的や価値」が「資本にとっての利潤」に全て還元されてしまって良いとは誰も思わないでしょう。
3.組織的協働を支える誠実と勤勉
人間にとって「労働」とは、人間にとってもっと高い目的や豊かな価値、例えば自由や平和や幸福、・等々の、人間的・社会的・歴史的な目的を達成し、価値を実現するものであって良いはずです。
組織とは本来、そうした人間どうしが労働の目的や価値を共有し合い、労働のINPUTとOUTPUTを互いに紡ぎ合って、より高い人間的・社会的目的を達成し、より豊かな人間的・社会的価値を実現するための協働体であるはずです。
誠実さと勤勉さは、協働体の構成員の行動指針の根底です。「手間を惜しまない」「人のせいにしない」「言い訳をしない」「信頼を損ねない」…等々は、は大人どうしの協働体においても共通の倫理であるはずです。