20240213 追記
両者の違いは主体性や自律性の程度の違いと言えるかも知れません。リーダーシップの違いで言えば、P(パフォーマンス型)とM(メンテナンス型)の傾向の違いなのかも知れません。いずれにしても、組織にとっては協働性も協調性も必要です…。
20231227 追記
ところで「リーダー」の最大の役割のひとつは、メンバーの「協働性」を引き出すことだろうと思います。そしてリーダーは自ら「突出」してはならないのだと思います。自らの能力や知見をチームの能力や知見にしなければならないのだと思います。
20230715 追記
いわゆる「同調圧力」に負けないこと。組織や集団や社会の中にあっても、自主的で自立的で責任のある判断と選択を行うこと。あとから判断と選択の結果の責任を問われて組織や集団や社会のせいにすることが無いように…。
20231014 追記
協調性と言うより寛容性
本稿ではかなり否定的に「協調性」という言葉をとりあげていますが、組織のマネジメントの観点から言えば、それを「協働性」と対置するよりも、むしろ「寛容性(許容性や受容性)」として肯定するほうが良いとも思います。
つまり、下記の「遅刻者がいても定刻に会議を始めるか?」において、「遅刻者のために開始後もドアを開けておく」こと。ただし、やはり遅刻者には、少なくとその回だけは質問や意見を言う権利はない、と、筆者は思うのですが…)
協調性と言うより共感性
相手の状況や心情を察して配慮できる(imaginationとconsideration、気づきと思いやりがある)ことが、いわゆる協調性や協働性のベースにある、両者よりもっと基本的で重要なことだろうと思います。
なぜ「遅刻」をしたか、それぞれにどういう事情があるかは分からないのですからドアは開けておく、ただし会議は定刻に開始して、遅刻者に合わせて議論を後戻りさせたり繰り返ししたりはしない…。
<以下原文>
1.遅刻者がいても定刻に会議を始めるか?(協働性あってこその協調性)
例えば「会議には定刻までに集合して定刻に開始する」ということは、どこでも「当たり前」なはずが、実際には例えば遅刻者を許容し、ある程度待って開始する」ことのほうが習慣化している例は珍しくありません。
①遅刻者をある程度待って会議を始めるか、②遅刻者を待たずに会議を始めるかは、人によって考えが違い、組織によって習慣が違う、「協調性と協働性の分かれ目」なのかも知れません。
「協調性」とは「遅刻者をある程度待って会議を始める」ことであり、そうした寛容性や許容度が組織の潤滑油だと思いますが、それは個々人が「会議定刻前に集合する」ことを「当たり前」とする「協働性」が前提だと思います。
2.協調的共貧関係に陥ってはならない(協調性が組織を損なう場合がある)。
「チームワーク」と言っても「1+1が2を超える」ことはあり得ず、結局、チームワークとは「集団的サボタージュ(手抜き)を防ぐ」ことだと言うほうが良いのかも知れません。
「三人寄れば文殊の知恵」という言葉もありますので、相互に啓発し合って「1+1が2を超える」発想や知恵が生まれることもあるでしょうが、「話し合った」結果が結局は陳腐か極端に偏ることが多いことも社会心理的な実感です。
筆者は「協調性」を否定しませんが、それが集団の無関心・無理解・非協力・無責任・サボタージュ…に同調するという意味なら反対であり、「自らの手間を惜しまず協力する」という意味の「協働性」に基づくなら賛成です。
20160918 追記
「一票でしか変わらないのに一票では変わらない」と思う心理
自分たちの一票で政治を変えることができるのに「自分の一票ではどうせ変わらない」と思ってしまい、その一票を投じる「自分の手間を惜しむ」心理は、集団的サボタージュの現れのひとつでしょう。
「選挙民主主義」が「英雄期待感」や「ファシズム」に転化してしまう心理も、「集団的サボタージュ」の現れのひとつかも知れません。組織的協働性は、「自分の手間を惜しまない」人々の行動によって支えられていると実感します。
20160918 追記
「二者択一」の積み重ねの結果として今がある。
「遅刻者がいても定刻に会議を始める」かどうかは「二者択一」であり、「協調性」と「協働性」の分かれ目のひとつだと思います。そこでトップやリーダーが「始めよう」と言えばそれが組織の価値や習慣の形成につながるでしょう。
リーダー自身が遅刻者である場合は、おそらく「会議に遅刻する」ことがその組織や企業の価値や習慣になるでしょう。リーダーシップやマネジメントとは、複雑難解な議論でなく、ごく日常的な「二者択一」の積み重ねなのでしょう。
3.協働性を人事マネジメントの基軸に
ところで、上記のような「協働性」というキーワードを主軸に、企業における採用から退職までの人事マネジメントを再編できるのではないか、というのが筆者の最近の問題意識です。(「人事の七つ道具」も併せてご参照下さい。)
①採用選考要素としての「協働性」
筆者は採用における選考要素として、①資質適性、②能力適性、③指向適性、④行動適性の4つの適性を挙げていますが、これらの要素を貫くのが「協働性」= 「この人なら一緒に働いてみたいと思える人」という属性です。
資質面や行動面では協働性に馴染まないような未熟さや偏りはないか、能力面ではコミュニケーションを通じて周囲の理解や協力を得られるか、指向面では組織的協働を通じて価値を生み出すことに動機付けられているか、などです。
②育成および目標管理における「協働性」
「育成(人の成長の促進)」の主軸も「協働性」に置いて良いと思います。筆者の部下が「仕事ができるようになる、ということだけではなく、仕事を通じて人間的にも成長したいと思う。」と言ったのはこの趣旨です。
よほどの天才や芸術家でもない限り、仕事上でのより良い成果は、より良い組織的な協働を通じてこそ得られる場合がほとんどです。目標管理における設定目標も、組織的な協働を最も多く引き出した結果、達成されるはずです。
③評価における「協働性」
筆者は人事評価における評価要素として、①職務遂行上の態度、②職務遂行上の能力、③職務遂行上の実績の3つの要素を挙げています(「人事の七つ道具」参照)が、これらの要素を貫くのも「協働性」という要素です。
態度は「組織的な協働を促進する職務遂行上の態度」の現れを評価し、能力は「組織的な協働を通じて成果をあげる能力」の発揮を評価し、実績は「組織的な目的の達成や価値の実現への貢献度」の多寡を評価すべきです。
「協働性」こそ「組織の組成原理」だと思います。評価だけでなく、採用、育成、処遇において「協働性」が根底的な価値基準だと思います。(「パワハラ」は組織の組成原理の破壊でさえあると思います。)
20170319 追記
共同性の認識
「仕事をする」上でも、人の言動や態度のベースが「共同性(「組織協働性」または「社会共同性」と言っても良い。)」の認識で貫かれているかどうか、ということは、たいへん重要な要素のひとつであると思います。
企業組織の中でも、自分の便宜や利益や保身を優先させるような人は現実に居るのは驚きですが、社会や企業組織全体の利益よりも、自分の組織の都合を優先させる「小管理職」のビヘイビアは、むしろ日常的なのかも知れません。
筆者は職業柄、特に人事異動の場面で「優秀な人を広く大きく育てようとせずに自分の部署に抱え込む」「自部署の不手際を他部署のせいにして事足れりとする」などの「小管理職」のビヘイビアに悩まされたことが多々あります。