20230715 追記
ひとつの企業を「コミュニティー(働く人どうしの共同と互恵の共同体)」として育て上げることも、そのオーナーによっては可能であると思います。現に小規模の独立事業ではそういう経営実例が少なくないと思います。
しかし、もう一段身近で現実的なことを言うなら、ひとつの職場を「コミュニティー(働く人どうしの共同と互恵の共同体)」として育て上げることも、そのリーダーたちによっては可能であると思います。
私たちはひとりひとりがバラバラに切り離されて働いているのではない。それはひとりの人間がバラバラに切り離された部分や部品として働いているのではないのと同じことだと思います。
「職場」は「一緒に働く場」であり「一緒に生きる場」であるはずです。「家庭」も「地域」も「組織」も「企業」も「社会」も、本来「一緒に働き、一緒に生きる」場なのだと思います。
そこでは現実には、パワハラやいじめ合い、いがみ合いさえ絶えませんが、みんな一緒により良く働き、一緒により良く暮らし、一緒により良く生きようとしている場であるはずだと思います。
20220525 記
1.「私たちの幸せを壊さないでほしい」と言った部下
対人的・対組織的なリーダーシップやマネジメントのタイプを「P型(パフォーマンス型・業務成果重視型)」と、「M型(メンテナンス型・人間関係重視型)」の二軸で評価する考え方は良く知られた通りです。
その昔、筆者自身が「P型」のリーダーシップやマネジメントを発揮したつもりでいい気になっていたころのこと、ある部下(一般事務の女性職員)が退職に際して筆者に向かって言い残した言葉が「私たちの幸せを壊さないでほしい」でした。
また昔、筆者がいわゆる大企業の職員食堂で喫食しながら「いまいましく」(「ほほえましく」とは逆の感情で)眺めていたのは、昼休み時間いっぱい、仲間どうして席を占有して楽し気に会食する女性職員たちの姿でした。
それはまさに後に筆者が著書で「職場で暮らす人々」として揶揄した人たちの姿です。 まるでその人たちを軽蔑し、「ほほえましさ」や「たのしさ」を否定するかのように、P型の筆者はさかんに記述しています。
さらに筆者は、企業組織の構成員を、昔(ほぼ戦前?)の日本のように、「職員」と「工員」(軍隊で言えば「将官や士官」と「兵」)を「身分」上の差別・区別として分けたほうが(規律と効率の点で)良い、とさえ思っていました。
今でもその気味があってか、企業組織の構成員を、メンバー/リーダー/マネージャー/スペシャリスト/パートナー/オーナー…というふうに「分類」して処遇するのが良いと、まだ頑なに信じています。
しかし…そんな筆者の思いや考えや行いに、真正面から突き付けられたのが「私たちの幸せを壊さないでほしい」という言葉でした。…リーダーシップだマネジメントだといい気になって、働く人たちの「幸せ」を壊していたのでは何にもならない…。
2.「仕事をする」こと自体に動機付けられている人たちはそれほど多くない。
企業組織で仮に100人の部下を預かる視点から見れば、いわゆる「2-6-2の経験則」は、おどろくほど当てはまると思います。(筆者がある大病院で2000人の職員の人事評価を実施して得られた経験則も実に「2-6-2」でした。)
そして、おそらく、「仕事」そのものや「仕事をする」ということ自体に、自分で自分を動機づけていられる人たちというのは、「2-6-2」のうちの、おそらく上位5割程度がやっとなのだろうと思います。
もちろん企業組織のトップ(オーナーシップを発揮する人たち)は、筆者の目から見れば「人格と事業が一体化」しているような人たちが多く、その企業組織の「仕事」が、その人自身の「人生」であるかのような人たちが多かったように思います。
しかし、組織や人の全体をマネジメントするということは、企業組織で「仕事」自体に自己同一化する人たちから、「仕事」自体に自己動機付けが出来ない人たちまでを視野に入れて、それぞれに応じた処し方をしなければ成り立たないと思います。
3.働きやすく、働きがいのある職場づくり…
そうした思いを抱えたまま、筆者はここ数年、主に医療・介護・福祉事業における「働き方改革」(=働く人たちの、働きやすく、働きがいのある、職場づくり)に取り組んでいる、つもりです。(主に、事業主へのアドバイスや支援を通じて。)
先日も、筆者が主催する月例のweb懇談会で、「両立支援」をメインテーマに取り上げたところ、ある参加者(おそらく医療機関の経営管理者の方だと思います。)から、下記のようなメッセージをいただきました。
「いつも勉強になり感謝しております。現場の生々しい現実からの解決法、現場主義に徹しておられ関わるあらゆる職員が協働できる真の平等で働きがいのある医療職場環境造成のご尽力と苦悩に愛情を感じながら学ばさせていただいています。」
「あらゆる職員が協働できる真の平等で働きがいのある職場環境づくり」のための「尽力と苦悩に愛情」また「新しい世代で試みているチームでは、互いを尊重し高め合う文化もみられており、かすかな希望をいだいています」というお言葉に感動…
筆者が見ている「組織」は、主に医療・介護・福祉の組織であって、極端なたとえですが、「軍隊」や「やくざ」の組織とは異なります。また、研究者や弁護士だけ組成されるような「組織」とも異なる、ある意味一般的で実利的な普通の組織です。
だからこそ「あらゆる職員が協働できる真の平等で働きがいのある職場」づくりは、決して幻想ではないと信じます。それを追求することが、マルクスが150年以上前に言った「疎外された労働」を克服するエネルギー源であるとさえ思います。
<追記>分り合い、認め合い、支え合える職場
「価値観を共有する」という言葉は、現実的には「空虚(絵空ごと)」かもしれない。現実にはせめて「他者の価値観を阻害しないこと」「価値観を認め合い・共存させあうこと」「価値観を重ねあうこと」でしょう。。。
なぜ「分かり合えない」かって、「他人」だからです。自分とは観え方も考え方も来し方も異なる、他のに「人格」だから。そう間単に共感も共鳴も共有もできないし、お互いの自己肯定や尊厳や実現はそう簡単には譲りません。
(「挨拶も返事もしない」人たち…)
「職場の中の困った人たち」の事例のひとつに挙げられたのが「挨拶も返事もしない人」でした。「相手の(を)人格として認めたくない」という心理(そのようにして自分の人格を保持したい?)が働くのでしょうか…。
それでもそれにめげずに…それぞれの思いを手繰り寄せ合わせ、擦り合わせ、紡ぎ合わせて何とかしてひとつのことを作り上げ、やり遂げようとするのが「職場」であり「仕事」であると思うのです。
せめて挨拶と返事をしましょう。何気ない会話をしましょう。雑談をしましょう。自分の興味や自分の言葉だけで話すのでなく、相手の興味や関心や言葉で優しく話しかけるようにしましょう。
(お互いの思いの断片を言葉にして重ね合わせる)
対話的なコミュニケーション、お互いの、キーワード(それぞれの思いや価値観が載った言葉…論理的でなくて良い、感覚的な段階で良い、未だ言葉になり切っていなくて良い、そう、そういう断片的な思いを口に出して言ってみて…
それをお互いに上手くキャッチして「イイね!」「そうだね」と言い合えれば良いですね…。