20220527記
…目標管理が期待通り上手く機能しない、と、多くの組織でお困りかも知れませんが、その理由は、実は「目標管理」のもっと手前、またはもっと根底にあると思います。つまり、もっと組織の「組成原理」、メンバー一人ひとりの「行動原理」の問題かと…。
1.自分で「こうします」と言ったこともできないから
ケネディーやドラッカーの言説を引用するまでもなく、「組織(国家でも企業でも家庭でも…)」の活動は、個々のメンバーの「私は~します」という「コミットメント」で成り立っていると思います。
メンバーの「コミットメント」がなければ「組織」の活動自体が成り立たず、「目標管理」の成り立ちようがないのです。「私(私たち)は、~という目的や価値を実現するために~します」というコミットメントの組み合わせが「目標管理」です。
もっと「底辺」のことを言うなら、「自分が言ったことはやる」というのが、社会人の最低限の道徳律のひとつだと思うのですが、「企業」という組織の中には、実は「自分が言ったこともできない」人が意外に多い…。
「目標管理」などと言う前に、たとえば「約束を守る」「時間を守る」「自分が言ったことは最後までやりきる」というような、仕事以前の規範を徹底するほうが良いと、筆者は本気で思います。
2.最初にこうしようと決めたことを忘れてしまうから
年の初めに「今年こそ~しよう」という目標を掲げることは企業の「目標管理」においても実は同じなのですが、現実には半年もしないうちに最初の目標を「忘れて」(少なくとも目標意識が薄れて)しまうことも少なくありません。
せっかく作った「目標管理表」も、机の奥にしまいこんだままでは、何の役にも立たず、ただ「目標管理表を作る」という「仕事(作業)」になってしまう…。せめて1日1度、1週1度、1月1度は、復唱しても良いのではないか…。
3.PDCAが回っておらず習慣付けられていないから
筆者は「1日1回PDCAを回せ」というのが持論です。職場の「朝礼」(所定始業時刻に!)で、「今日は~します」と言い合い、「夕礼」(所定終業時刻に!)で「今日は~でした」とお互いに言い合うのは、とても良い習慣だと思うのですが…。
<<電通事件に思うこと>>
1.新人に「即戦力」を強いてはならない!!
事件後に評論家のようなことを言いたくありませんが、ひとつ言えることは、ほとんど新人のような人に「即戦力」というような「美名」の下で仕事のアウトプットを強いるのはあまりに酷だということです。
2. 企業における新人向けの育成(研修)期間がどんどん短くなっている
「昔(の大企業?)は良かった」とも言いたくはありませんが、企業における新人向けの育成(研修)期間がどんどん短くなっているようです。参考:(産労総合研究所「2014年度新入社員教育の実態調査」
http://www.e-sanro.net/jinji/j_research/j_research05/pr1504/
3.採用後6ヶ月間は「試用期間」、それを含む採用後2年間は「育成期間」
「正規雇用」を標榜し、新卒者を「長期育成型」で採用・育成しようというなら、採用後6ヶ月間は「試用期間」とし、それを含む採用後2年間は「育成期間」として、仕事のアウトプットよりもインプットを多くすべきです。
4.新人に時間外勤務をさせてはいけない。
また、そもそも「右も左も分からない」新卒の新人に「時間外勤務」を命じるべきではありません。一定の育成期間をクリアしたのち、必要なら上司が個別具体的に行うのが当たり前です。
5. 「目標管理表」に代えて「自己申告表-観察育成表」を
いきなり「目標管理」や「人事評価」などの制度を適用せず(給与も昇給も賞与も一律定額で良く)、「目標管理表」に代えて下掲のような「自己申告表-観察育成表」を適用して、観察と育成を行うべきです。
<揺るがない目標設定と毎日の定点観測>
1.MBOの意味
MBOという言葉は本来 Management by Objectives and Self control という言葉の略であって、日本では「目標管理」と訳されてしまい、何やら「働く人たちを『目標』で管理する」というニュアンスで通用してしまっているのが筆者には不満です。
我々が「目標」と訳してしまっているドラッカーの Objectivesという言葉は、働く人たち自身が「もっとこうしたい」「もっとこうありたい」と自らを動機付けるところの「動機付けの対象」(「ノルマ」とは正反対の意味)であると筆者は思います。
そして Management という言葉は、Self control という言葉が示すとおり、「自己管理」という意味であって、人が人に「目標(ノルマ)」を押し付けて支配したり管理したり搾取したりすることでは決してないはずです。
2.働く人たちにとっての「働く」ことの意味
ところで「働く」人たちにとって「働く」ということの意味は何なのか…。旧い民法には「傭用」の条文に「労務に服して賃金を得ること」と定義されており、まさに「労務に服すること」と「賃金を得ること」が「働く」ことの意味だとでも…?
たしかに身近に接する「労働者(働く人たち)」の多くは、「働く」ことそのものよりも、「働かない」こと(いかに少なく働き、いかに多く賃金を得るかということ。時短と賃上げ。)により多く動機付けられているようにも見えますが…。
しかし他方では、多くの人たちが、文字通り「社会的・人間的な目的の達成や価値の実現」のために働いている。例えば「自由・平和・幸福」のために。「自由・平和・幸福」という価値を実現することそのものを実現すべく「働いて」いる…。
3.「働く」ことの目標は揺るがない
それはひと言でいえば「人間らしさ」だと、筆者は思います。それぞれの時代の発展段階(人間と社会の成長段階)において、人間はより人間的であろうとするために働いてきたのだろうと思います。
たしかに「長時間・低賃金労働」から「短時間・高賃金労働」もそのひとつの段階であった(いまだにその段階である)としても、決してそれに留まらない、「自由・平和・幸福」や「真・善・美」…人間や社会にとっての価値の実現…。
例えば、ある「発達障がい者」の指導者は、それを「自律と支援」という言葉で指し示したそうです。また、それが「生涯不変の目標であるからこそ揺るがない目標」であると言ったそうです。