20220610記
1.前面の理、側面の情
中坊公平氏(前日弁連会長)は、「前面の理、側面の情、背面の恐怖」という意味のことをおっしゃったそうです。なるほど法律専門家らしい、「人」に対する、やや厳しい見方だと思います。
しかし…筆者は決して宗教家でも哲学者でもなく、「人事労務専門家」のひとりとして、いままで多くの、いろんな人と接してきて思うのですが、前面の「意」側面の「理」と「情」、背面の「愛」ではないかと…
「人事(対人的なマネジメント)」は「意(どうしたいか、どうありたいかという意思)」を機首に掲げ、「理」と「情」を両翼にふまえ、「愛(マザーテレサが「それでも人を愛しなさい」と言うときの「愛」)」を尾翼からの推進力にする…。
2.背面の「恐怖」
筆者は「人事」を職業にしながら、どうしてもいまだに納得できないことのひとつが、「懲戒」です。中坊氏の言葉で言えば「背面の恐怖」です。そう言いながらも「解雇(契約解除)」という「恐怖」を否定しているわけではないのですが…。
しかし、「解雇」というのは、「もうこれ以上雇用契約関係を維持できない」それは例えば「信頼関係が破壊された」からであり、それは例えば「事業の継続が不可能になったから」であって、むしろ「理」に近いのではないか、と思うのです。
それは「失職」として労働者には恐怖になり、「倒産」として事業者には恐怖になると思いますが、それでもなお「解雇」でさえ、「意」と「理」と「情」と「愛」をもって行うべきであって、「恐怖」として行うべきではない、と筆者は信じます。
3.正面に「意」、側面に「理」と「情」、背後に「愛」ではないか?
中坊公平氏にはお言葉を返すようで恐縮ですが、筆者自身は、人に接するときや問題を解決しようとするときの基本的なスタンスとして、それを「正面に意、側面に理と情、背後に愛」と言い換えたほうが良いのではないかと思っています。
(1)正面の「意」(それをどうしたいか、という意思)
(2)側面の「理と情」(智に働けば̚カドが立つ、情に掉させば流される)
(3)背後の「愛」(善人なおもて愛すべし、まいて悪人においておや)