20230129 記
「敵」への礼節と誠意
どんな相手に対してでも、たとえ「敵対的な」相手に対してでも…(私は「敵」という言い方がとてもキライです)、その人との問題を解決しようとするなら、相手に対するリスペクトを基本に据えて、「誠意」と「礼節」を尽くすこと。
例えば「敵対的な」相手に対して「怒鳴る」ことをするのは、いったい何のためでしょうか…威力を持って「敵対的な」相手を圧倒したり制圧したりして、結局はこっちの利益を通そうとすること???
それではまさに「勝ち」と「負け」しかなく、「解決(裁判等で言う「和解」には至りにくいと思います。いまどき「怒鳴る」ことで自分を「実現」しようとするなんて、その筋の方か、乱暴な運転手さんか、パワハラ常習犯か…
20230615 記
国が戦争をしようとする場合は「敵愾心を煽る」というか、「愛国心を煽る」というか、要するにそれらはいずれにしても独善的で排他的な、偏狭な自己愛でしかないのですが、それこそ「人」の天性に唾するものだと、私は思います。
私自身は「人事労務」という仕事上、労使間の妥協なき対立に巻き込まれることも少なくないのですが、相手に対するリスペクトを基本に据えて、誠意と礼節を尽くすこと、争いを止めて譲歩することを鉄則にしています。
また、反組織的な指向の方と出会うことも多いのですが、その場合でもその方に誠意と礼節を尽くすこと、争いを止めて譲歩することを鉄則にしています。そうしないと対話も成立せず、和解も成立しないからです。
そういうことをせずに「闘う」とか「戦う」とか、勇ましいことを言い、「正義」だ「法律」だのを持ち出して、力づくで自我を通そうとするから、問題が解決しない(解決したように見えて争いの火種は消えていない)のだと思います。