…人事評価は「難しい」と、多くの人が言いますが、なぜ多くの人が「難しい」と感じるのでしょうか…以下、それを「解く」鍵のひとつとして…
20230403 記
評価の前に観察と理解が必要
観察も理解もせずにいきなり評価しようとしも無理です。例えば協調性に欠けるように見える人に適正な評価を行おうとする場合に、どういう言動や態度が問題なのか、その人からなぜそういう言動や態度が出てくるのかを理解しないとダメです。
例えば「報連相」を「行動評価」の評価項目とし掲げる場合に、それが出来ない人がいるとしたら、なぜできないのか、実は何をどうすれば良いか分かっていないのではないか、ということに掘り下げて観察・理解せずに評価を急ぐのはNGです。
いわゆる発達障害的な傾向や、パーソナリティー障害的な傾向や、メンタル不調的な問題を抱えて問題行動を起こす人が人がいたら、先ずは、そのことに対する観察と理解が先決です。
指導も育成もしないなら評価をしないほうが良い
企業で上司が部下を評価するのは、その部下を動機付けて、成長を促そうとするからであって、それ以外に目的があるとしたら、将来のリーダーを選抜しよう、または限られた昇給・賞与原資を適正に配分しようとするからでしょう。
それ以外に、日ごろ、観察も指導もせずにおいて、評価のときになって初めて評価しようとしたり、評価のフィードバックもせずに動機付けにも成長促進にもつながらないようでは評価はむしろ有害です。
20230910 追記
契約や約束はもちろん、「人事評価制度」と連動する「目標管理制度」で、自分で「私は~します」と言ったこともしない・できない、抱え込んで黙り込む…ようでは、そもそも「仕事」自体が出来ていないのだから「それ以前の指導」が必要だと思います。
20220525 記
人事評価はなぜ「難しい」と感じるのか?
1.評価者も被評価者も、自己評価を優先しているから
「人事評価は他者評価だ」と割り切ってしまえば、ずいぶんと難しさから免れる。もし人事評価に「自己評価」を採り入れるなら、他者評価との違いを、どちらが「正しいか」ではなく「なぜそうした違いが生じるか」という視点で反省すること。
統計的に言えば、自己評価は他者評価より概ね2割ほど高い。いわゆる「若くて優秀」な人ほどその傾向が強い。だが人によって両者の隔たりには差がある。「自己評価」が極端に低い人もいる。自己評価と他者評価は「概ね一致する」のが良い。
2.評価が「正しく」なければならないと思い込むから
場合によっては専門的訓練を経た裁判官と厳格な手続きによる裁判でさえ、無実の人に極刑を強いる「間違い」があるのだから、専門性も手続きもない一般企業の「人事評価」に「正しさ」を求めるのが無理。
せめて、人事評価の目的を限定し、評価者・被評価者、評価の要素や項目、評価のルール、評価を何に反映するか、を限定すべき。その上で評価が正しいかどうかでなく、フェアであるかどうか、評価に信頼性・妥当性・納得性があるかを評価すべき。
3.知ろう・見よう・聞こう・分かろうともしないから
そもそも人事評価の対象業務や対象者について、評価する側が「知らない」「見ない」「聞かない」「知らない」「分らない」では、人事評価は「難しい」どころかむしろ「不可能」だと言うべきです。そうした評価者は制度運用から排除すべきです。
よく言われる人事評価のルールのひとつは「評価者は自分自身を評価の基準にしてはならない」です。敢えて言えば、人事評価は「組織」的な視野や知見のもとに行うべきであって「個人」的な視野や知見のもとに行うのは無理であり困難です。
4.肯定も承認もせず、褒めもせず、叱りもしないから
自己肯定や自己尊厳が、自己生存と自己保全とともに、人間にとって根本的に強固で重要な欲求であることは言うまでもないが、人事評価においてより重要なことは、それが評価の対象者にとっても、より強固で重要な欲求であるということです。
「評価者自身を評価の基準にしてはならない」という教訓は、「評価者が自己を肯定するあまりに評価対象者を否定してはならず、評価者が自己を尊厳するあまりに評価対象者の尊厳を侵したり、損なったりしてはならない」ということです。
5.人を動機付けようとせず、育てようともしないから
「評価」と「評判」の違いは、その対象者から内発的で前向きな動機付けを引き出そうとしているかどうかの違いであり、その対象者の成長を促進・支援しようとしているか否かの違いです。
「だからこそ人事評価は難しい」のかも知れませんが、難しいかどうかより、に、評価者自身が、上記1から5について、意を尽くしているかどうかです。「評価は難しい」と言いながら、評価の前に自ら為すべきことを惜しんでいるのではないか…。
6.人や組織に「こうあってほしい」と期待しないから
誰でも心の中には自分自身について「もっとこうしたい」とか「もっとこうありたい」という思いを抱いているはずです。「今後もこのままが良い」という思いも、肯定的に受け止めて良いとさえ思います。「だから何もしない」というのでなければ。
人と組織のマネジメントをあずかる人たちであれば、そうした思いを、自分自身に対してだけでなく、人と組織に対して思うはずです。「もっとこうしてほしい」「もっとこうあってほしい」という思いです。
お互いに、そうした思いを重ね合わせ、力を合わせて実現していくことが、実は人事評価であり、目標管理であり、組織管理そのものであると、筆者は思います。「部下をどう評価するか?」の前に「部下に何を期待するか?」です。
<人事評価7則・私案>
① 目的なければ評価なし(「何のために人事評価を行うか?」)
組織的なコミュニケーションを促進し、人を動機付け、人の成長を促進することが人事評価の目的であると、筆者は思います。
② 目標なければ評価なし(「こうしてほしい」「こうあってほしい」の期待)
評価に「基準が不明確だ」という批判や非難はつきものです。しかし、評価の基準は、評価者と被評価者の対話から生まれるのです。
③ 観察なければ評価なし(「仕事ぶり」と「仕事の成果」の客観的把握)
証拠が無ければ裁判ができないのと同じです。本人の、日頃の、仕事ぶりと仕事の成果をよく観察していれば、評価は自ずと定まるはずです。
④ 指導なければ評価なし(日頃の指導の積み重ねの結果としての人事評価)
観察を通じて気付くことがあれば、黙っていないで本人にアドバイスするのは誰でも当たり前です。それ無しに後から評価をしても意味がありません。
⑤ 信頼なければ評価なし(評価者と被評価者の間の意思疎通と信頼関係)
評価への不信や不満のほとんどは、評価者への不信や不満です。評価者とのコミュニケーション、価値観や目的観が通い合う対話が無いからです。
⑥ 責任なければ評価なし(「育成責任」の無いところには成り立たず)
「評価」と「評判」「批評」は違います。「評価」には「育成責任」が伴います。「評判」や「批評」は「育成責任」を負いません。
⑦ 成長なければ評価なし(動機付けと成長の促進に繋がらなければ無意味)
日頃の観察と指導に基づく評価とその適切なフィードバックがあってこそ、本人の動機付けと成長の促進につながります。
<追稿_評価よりも承認と感謝>
1.部下への期待感を伝えているか?
例えば松下幸之助は「モノをつくるんやのうて、ヒトをつくりなはれ」と言ったと伝えられています。同氏はその他に「人事異動を考えるときはいく晩もその人のことを考える」と言ったそうで、その言葉は今でも筆者の指針です。
人事評価は、その組織の目的や価値に沿った構成員への期待感(「こうしてほしい」「こうあってほしい」)を基準に行われるべきものです。(その意味で「評価基準が明確でない」組織は「目的や価値が明確でない」組織です。)
2.部下をRespect(尊重)しているか?
人事評価「以前」の問題として確認すべきことは、上司(評価者)と部下(被評価者)が相互をリスペクトしているかどうかということです。相互間にリスペクトの関係性が無ければ、評価の信頼性も妥当性も納得性も成り立ち得ません。
部下を呼び捨てにしたり、雑用係のように使ったり、挨拶もろくに返さない、有難うのひと言も無い…というような上司のビヘイビアが、部下からのRespectを得るはずがありません。
3.「人事評価」は「evaluate」か?
「人事評価」を英訳すると「Personnel evaluation」ですが、これはさらに和訳すると「査定」?…これは何らかの「尺度」を、何か(人事評価の場合は、例えば人の行動やスキルや成果)に当てはめて測定するという意味でしょうか。
しかし、身長や体重を測るのと同じようには、また学校の成績評定と同じようには、企業活動における人の行動やスキルや成果を測ることはできません。それは次のようないくつかの点においてです。
① あらかじめ絶対的な「尺度」があるわけではないから。
… 人事評価に「メートル原器」や「キログラム原器」や、あるいはそれらに代わる何らかの絶対的な「尺度」があるわけではありません。「尺度」があるとしたら「こうしてほしい(こうであってほしい)」という「期待感」です。
② 求められているのは「解答」ではなく「解決」だから。
… 学校の試験なら「試験問題」が「問題や課題」ですが、企業における「問題や課題」は「考え得る諸現実や諸状況や諸条件の全て」です。求められるのは一問一答式の「解答」ではなく「現実的な問題や課題の発見と解決」です。
③ 現実には「定量化」しきれないもののほうが多いから。
… 例えば「目標管理」における「目標」をあらかじめ「定量化」したり「データ化(ゼロイチ化)」できれば「目標達成度評価」がずいぶん単純明快になりそうですが、スーパーコンピューターでもないかぎり現実には無理です。
④ はっきり言ってしまえば「人事評価」は「主観的」なものだから。
… 裁判は客観的な事実(証拠)に基づいて行われこそすれ、それをどう評価するかは裁判官の心証次第であり、しかも、少なくとも民事裁判では、「正しい判決」よりも「納得の行く和解」によって「解決」がもたらされます。
人事評価も日常的な記録と観察と指導に基づいて行われこそすれ、それに基づいてどのような評価を行うかは、評価者の権限と責任に属する事項です。人事評価に期待されるべきは、「信頼性・妥当性・納得性」です。
4.人事評価はむしろ「appreciate(感謝)」や「approve(承認)」
① コミュニケーションとモチベーションを伴わない人事評価の弊害
… 目標管理も人事評価もコミュニケ―ションとモチベーションのしくみです。コミュニケーションとモチベーションを伴わない目標管理は単なるノルマ主義、人事評価は単なる選別主義に脱します。
② フィードバックを通じた動機付けと成長の促進こそ人事評価のいのち
… フィードバックこそ人事評価のいのちです。高い評価や肯定的な評価をフィードバックすることは比較的容易ですが、低い評価や否定的な評価をフィードバックして被評価者の動機付けや成長促進につなげることはより困難で重要です。
③ 人事評価はむしろ、「appreciate(感謝)」や「approve(承認)」
… 低い評価や否定的な評価をフィードバックして被評価者の動機付けや成長促進につなげることが必要であるとしたら、「尺度で測ってその値を伝える」式のフィードバックでは無理です。
… もちろん、不法・不当・危険な言動や態度は、その場で禁止しなければなりませんが、そうしたことであってさえ、あらかじめ、そうしたことがなぜ不法・不当・危険なことであるかを十分に伝えておく必要があります。
… 本人がどのような状況や理由や背景で、そうした不法・不当・危険を冒したのかについての観察と理解が必要ですし、その場で即刻行うべきことは、そうした言動や態度の禁止であって、本人を「禁止」することではありません。
… その事業や組織の目的や価値に反することや組織の協働性や構成員の成長に反することに対しては、否定的な評価を行い、それを被評価者の気付きと動機付けと成長につながるようにフィードバックしなければなりません。
… そのように考えると、やはり「人事評価」の基礎には、「基準へのあてはめ」のほかに「appreciate(感謝)」や「approve(承認)」がなければならないでしょう。「泣いて馬謖を斬る」の「泣いて」の一部でしかないかも…
追記 20200820
次の「エピソード」は何を言い表しているでしょうか?
美空ひばり:あたしさあ、さゆりちゃんのファンだから言うけど、あの唄のあそこは、例えばもうちょっとこういうふうに~♪~唄ったら、お客さんたちはも
っとグッとくるんじゃないかと思うのよね~
石川さゆり:あっ、ありがとうございます!!!
* 何をもって「評価の尺度」とするか?
* 評価とそのフィードバックとはどのようなものか?
* それは誰が誰に行うべきことか?