20230711 追記
「他人」は「自分」だ
一般的に経営管理や人事管理は「人」を「人材」や「人財」と呼び、マネジメントやコントロールの「客体」として取り扱いますが、そうするかぎり、現実に「人」に関する経営や人事の問題の解決の範囲や深さは限定されるように思います。
「人」は本来的に一体的で社会的な存在であって、相互の「関係」なしには生存さえ成り立たず、したがって問題解決も成り立たたない。また「人」は「こころ」をもった存在なのですから、「こころ」を無視した問題解決はありえないのです。
その意味で「人」は「他人」ではなく「自分」なのだと思います。「人」を「客体」ではなく、「自分」と一体的で社会的な、「こころ」を持つ「主体」として捉え直すことを前提にすれば、きっとより多くの問題が解けるはずです。
20230624 記
1.「人事」は「人ごと」
企業の人事に40年以上も携わって来て、「人事」は「人ごと」だなあとつくづく思います。それは「他人ごと」という意味ではなく「自分ごと」であり「人間ごと」であり、ひとりひとりのかけがえのない「人」に関わる重大事だという意味です。
2.「人」はモノでもカネでもない
企業の経営資源は「ヒト・モノ・カネ」であり、これらの有限資源を、最大限に有効活用することが企業経営だというのはその通りです。しかし、「人」は「モノ」や「カネ」と同列ではなく「人材」でも「人財」でもないと思います。
3.「人」ひとりひとりのかけがえのなさ
それはひとりひとりの尊厳ある存在として、最大限の尊重を要するということ、あらゆる人が、あらゆる人間的関係(組織や社会や国家…)において、 それぞれの人格的尊厳を最大限に尊重されるべきであるということです。
4.「人」は合理的にも不合理にも反応する
そして何より「こころ」を持つ存在だということです。機械のようにあらかじめ設計されたとおりに動くわけでもなく、法則通りに動くわけでもない。また必ずしも合理的な選択をするわけでもない。理性的にも感情的にも反応する…。
5.「人」はその時代時代の「人間らしさ」の実現のために「働いて」きた
人間はあらかじめ(または既に)何がより人間らしいかどうかどうかを知っていると思います。そしてその時代やその社会の制約こそあれ、その人間らしさを実現するために、主としてそのことに動機付けられて働いてきたのだと筆者は思います。
6.「人」はたったひとりで生きてきたのではない
いわゆる「自己生存の欲求」とは、究極的なパニック状態で、他人の生存を否定してでも自分の生存を保とうとする本能的欲求だ思うのですが、実はその「生存」でさえ、人間にとってはたったひとりで実現できるものではないと思います。
7.「人」はたったひとりで働いてきたのでもない
人はたったひとりで生きるのではない、より人間らしく、よく生きるためにその時代・その社会・その個人として精一杯働いてきたのだと思うのですが、その「働く」ということについても、たったひとりで働いてきたのでもないと思います。
8.「人」は社会協働的に生き、組織協働的に働いてきた
人にとって、生きることも働くことも、ともに本質的に「協働的」なのだと思います。だからこそより豊かな価値が実現できるし、個人や組織や社会の成長もある。しかしそこには同時に、協働的であるがゆえの悩みがあるのだろうと思います。