20230815 記
毎年この時期になるといつも思うことのひとつは、結局のところ、子供たちの代表者による「平和の誓い」というメッセージに勝る現実解を大人たちが未だに出せていないということです。
子どもたちのメッセージは「私たち一人ひとりが普段から『人を憎む』という心を捨てれば戦争は起きない」と言っているのに、大人たちは相変わらず人と「争う」ことや「戦う」ことを奨励さえします。
いまだに人を否定し、人と対立し、人を差別し、人を虐待し、人と争い、人と戦おうとする自分自身のもうひとつの「本性」を克服できずにいます。その結果としていまだに現実の世界から「貧困」や「戦争」さえ無くせないでいます。
「戦争」の後で「平和」を言うのは止めよう、一人ひとりが普段から「戦争」に至る途を選択しないように、偏狭な「正義」の名のもとに人を否定、対立、差別、虐待、争い、戦うことを止めよう、子供たちのメッセージはそう言っています。
例えば「戦争」という、人間の世界におけるいかなる悲惨な結果も、その前提としての一人ひとりの人間の、その時々の行動や態度や判断の選択の結果だと筆者は思います。
20240905 追記
どんなに複雑なITシステムも、「1か0」か「AND か OR」かの二社択一の論理に還元されますし、どんなに不幸な現在も、少なくとも人間系においては「1か0」か「YES か NO」か「左か右」かの、その瞬間瞬間の厖大な積み重ねの結果だと思います。
例えばそれが「戦争」という究極の「不幸」であるとしても、それはその国の人々がそれまでに行った「1か0」か「YES か NO」か「左か右」かの、その瞬間瞬間の厖大な積み重ねの結果だと、筆者は思います。
過去や現在だけではなく、未来についても同じで、今までの瞬間瞬間の判断と選択と、今からの瞬間瞬間の判断と選択が、少なくとも人間系における「幸福」な結果にもつながるし「不幸」な結果にもつながるのです。
自分自身の「不幸」な結果に遭遇して、それが自然災害でも他者による犯罪でもないかぎり、それまでの自分自身の判断や選択のせいではない、他人の判断や選択のせいだ、自分はそれに従っただけだ、などと言い出すのは無責任の極みです。