20230922 記
六十にして耳順う
1.何事(何人)からも謙虚に学ぶという姿勢は尊いと思います。どんな事からでも気付き・学ぶことはあるし、どんな人からでも気付き・学ぶことはあると思います。「もはや学ぶことはない(無学)」という思いは尊大に過ぎると思います。
2.個人が一生の間に知りうることや、そもそも人類が自然や人間について知りうることはほんのわずかなのだろうと思います。何事(何人)からも謙虚に学ぶという姿勢なしには、「なにひとつ学べない(無学)」に陥ってしますだろうと思います。
3.人間にとって、知識の豊かさや能力の高さの問題ではなく、それよりも何事(何人)からも謙虚に学ぼうとする姿勢や態度や習慣のほうが大事な問題なのだと思います。知識が乏しく能力が低いことに問題があるのではないと思います。
4.孔子でさえようやく「六十にして耳順(したが)う」と言ったのですから、「われ以外みなわが師なり」「何事(何人)からも謙虚に学ぶ」というのは「言うは易し、行うは難し」の典型で、筆者にはまだまだ相当の修養が必要だと思いますが…