20231210 改
これは「自分」(上司自身)のことを棚に上げるわけでもなく、「部下」に対するリスペクトや指導・育成責任をないがしろにするわけでもなく、「ちょっと困った部下」への対応を整理してみただけです。
繰り返しますが、人はそれぞれの能力と適性に応じて働くのがいちばん良い、能力が高いか低いか、適性が有るか無いかは、まさに人それぞれなのだから、その人を責めるべきではないし、その人が自らを恥じる必要もない。
上司としては、部下それぞれの能力や適性に応じた仕事を割り当て、期待どおりに仕事が行われ、少しでも能力を向上させよう、適性を広げよう、良い仕事をしようとさえしてくれるなら、それが良いのですから、そういう前提での論稿です。
<以下順不同>
□ 何を言っているか分からないように思える部下…
同じことをその場その場で「ああ言ったり・こう言ったり」すると、話は分かりにくいです。「同じとこは同じ言葉で言う」のが分かり易いはずです。自分が何を言いたいか、自分が何を言っているか、自分で分からないようでは伝わりません。
□ 自己認識に欠けるように見える部下…
□ 気後れしてしまう(劣等感や無力感をかかえている?)ように見える部下…
□ 学習できないように見える部下…
□ 相手への視点(相手からの視点)がなかなか持てないように見える部下…
いくら学業優秀でも必ずしも仕事が上手く行かない、としたら、その最大の原因のひとつは、その人が、「相手への(相手からの)視点」を持って仕事をしているかどうかだと思います。言い換えれば「自己中心」観をどれだけ超えられるか…。
あらゆる仕事には「相手」があるのですから、「相手」への視点や、「相手」からの視点は必須で、常に「相手からはどう見えるか?」「相手はどう感じ、思い、どう反応するか?」という発想が必要です。
もちろんほとんどの人は基本的には「自己中心」的でしょうから、それ自体は否定するのでなく、肯定的に意識すれば足り、「相手」も同じように「自己中心」的なのですから、あとはどれだけ「相手」に寄せて仕事をするかどうか、だと思います。
もっとも逆に「相手の眼(他人の目、世間の目)」を気にしすぎて「うつ状態」などになってはなりませんので、お互いの「自己中心」を認識し合い、譲り合えるかどうかがポイントだと思います。
自分の損得や都合ばかりを優先するようでは「一緒に仕事をする」ことが上手く行くはずがありません。かと言って相手の損得や都合ばかりを優先するようでは「一緒に仕事をする」ことが大きなストレスになるでしょう。
また、「組織的(協働的・協調的)に仕事をする」ということは、ちょうどサッカーのゲームで上手くパスを繋いでゴールに達するように、自分の仕事の最適のアウトプットが相手の仕事の最適なインプットになるようにすることだと思います。
もっと簡単に言うと「相手にとって見やすい・分かりやすい・やりやすいように自分の仕事をする」ということです。こうした「相手への(相手からの)視点」を持っているかどうかで、仕事の成果は全く違うと思います。
□ 仕事をすること自体に動機付けられていないように見える部下…
「仕事が楽で給料が高い仕事」というのはどこかの就職情報誌のキャッチフレーズのようですが、世代の違いに関わらず、働く人たちの大半は、本音ではそう思っているのかも知れません。
「仕事が楽で…」というのは「仕事に労力や時間をあまり費やさなくて良い」という意味でしょうか…せめて「仕事が楽しくて…」というフレーズに置き換えてもらうことは出来ないものでしょうか?
「労務に服して賃金を得る」ことがこの時代・この国で「働く」ことの基本型であるのかも知れませんが、そもそも「働く」ということは人間にとってもっと豊かな価値を実現することだという認識を共有することは出来ないでしょうか?
例えば医療・介護・福祉で働く人たちにとっては、患者さんや利用者さんたちの喜びや感謝こそが最高の報酬なのだろうと思います。またかつて筆者のある部下は「自分自身の成長を実感できることが最大の動機付けです。」と言ってくれました。
要するに「何のために働くか?」という価値観や目的観の問題だと思います。もちろんそれは人それぞれであって良いのですが、少なくとも一緒に働く人たちどうしでそうした価値観や目的観が交わるような会話が出来ないものでしょうか?
□ 目標の実現や自己の成長に動機付けられていないように見える部下…
人生のうちで最も輝かしい時期、一日のうちで最も輝かしい時間を費やして仕事をする以上は、「より良い(より良く)仕事がしたい」「より良い(より良く)仕事が出来る自分になりたい」と思ってほしいのですが、必ずしもそうでもなさそうです。
いわゆる「目標管理制度」が「ノルマ主義」のような運用になっているとしたらとても残念ですが、本来「目標管理制度」というのは、お互いの「より良い仕事がしたい」「より良い仕事が出来る自分になりたい」という思いを共有する制度です。
□ 時間や約束やルールや指示が守れないように見える部下…
□ 報告・連絡・相談が習慣づけられていないように見える部下…
□ コミュニケーションが上手くいかないように見える部下…
コミュニケーションの基本の第一は「聴くこと」であり、肯定的に受容し、積極的に傾聴し、相手の言葉を遮らずに最後まで聴き、健全な興味と関心をもって聴き、共感的に聴くこと、対話的に聴くこと…が重要です。
コミュニケーションの基本の第ニは「伝えること」であり、何を言うかより、どう言うか、相手にどう伝えるか、相手にどう伝わるか、が重要であり、同じ意味なら相手の言葉を使い、自分の言いたいことが相手の口から出てくるのがベストです。
コミュニケーションの基本の第三は「合意形成すること」であり、客観的な事実を争いのない事実として共有すること、感じ方や考え方や価値観の違いを許容し承認し共感し共有し尊重し合うこと、その上で合意形成することがベストです。
□ 協調性が無いように見える部下…
□ 自己中心・自分本位の言動や態度が目立つように見える部下…
□ 論理的な考え方やモノの言い方が苦手なように見える部下…
どんなに複雑な計算でも「1+1=2」という最も単純な「数理」の積み重ねだと思うのですが、例えば実務で給与計算や人員統計など、基本的な加減乗除の数理計算が正確に出来ない人も少なくありません。
どんなに複雑な論理でも「AならばBである」という最も単純な「論理」の積み重ねだと思うのですが、例えば「なぜ?」と聞かれて「なぜならば…」と論理的に説明出来ない人も少なくありません。
また、論理の世界では「A」は「A」であって、それ以外ではありません。現実には、話しているうちに「A」の意味が不明確で、話しているうちに「A」がいつの間にか「A」以外のことに話が行ってしまう人も少なくありません。
そして「Aとは何ですか?(それはBと同じですか?)」または「Aはどうなりましたか?(それはBになりましたか?)」と上司が聞いても、「CはDです(CはD
になりました。」という答えが返ってくることも少なくありません。
要するに「聞かれていることに答えずに知っていることだけ言う」のは、まるで出来の悪いAIのようですが、部下の心理としては取り合えず知っていることだけ言って上司の質問から逃れよう、ということなのでしょうか?
上司としてはついイラっとして「いや、そうじゃなくてAはBか、YESかNOかと聞いているんだ!」と声を荒げたくなるかも知れませんが、そうすると今度は何を聞いても「YESかNOか」でしか答えなくなってしまうかも知れませんが…。
しかし、どんなに複雑な計算も「イチかゼロか」という数理の組み合わせであり、どんなに複雑な論理も「YESかNOか」という論理の組み合わせなのですから、先ずは「イチかゼロか」「YESかNOか」をクリアにしないと先に進みません。
つまり、単純な数理を積み重ねて複雑な計算を行うことも、単純な論理を積み重ねて複雑な論理を組み立てることも苦手で、そういう訓練や経験が比較的少ないだけなのかも知れません…。
そうした部下への対応としては、当たり前ですが、ごく単純な数理や論理について理解を得ること、それを繰り返し、積み重ねることだと思います。「1+1=2」であることや、「AならばBである」ことを繰り返し、積み重ねること。
筆者の経験で言えば「従業員数を正確に数えられない」部下がいました。入職があり退職があるので、いつ時点の入職をプラスし、いつ時点の退職をマイナスすれば、いつ時点の在籍者数が分かるはずなのですが…。
もちろん「1+1=2」であることは理解できていますが、そうしたごく単純な数理を積み重ね、組み立てることができずに困っているようでした。ものごとをひとつひとつのごく単純な数理や論理で組み立てる能力に障害があるようでした。
結局はその部下に「寄り添う」ようにして、ひとつひとつのごく単純な数理や論理をその部下と一緒に確認しながら、もう少し複雑なことを一緒にやってみる、それができたら自分ひとりでやってみる…そういう対応以外に無いように思います。
□ 合理的な言動や態度の選択ができないように見える部下…
□ 正確・迅速・丁寧な仕事の進め方が習慣づけられていないように見える部下…
□ 誠実さと勤勉さに欠けるように見える部下…
□ 今までのやり方・自分のやる方を頑なに変えないように見える部下…
□ 具体的な提案が出来ないように見える部下…
□ 書くことが苦手なように見える部下…
□ 忙しい、が言い訳になっているように見える部下…
□ PDCAが廻っていないように見える部下…