20231229 追記
「自己尊厳」はむしろ「リーダーシップの壁」なのかも知れません。「名選手が必ずしも名監督になれるわけではない」理由のひとつがそこにあるかも知れません。「何でも自分が一番」と意識・無意識に言動や態度を選択する人は、実はリーダーにはなれない…
20231217 記
1.マズローの欲求五段階説の読み替え
「動機付け理論」と言えば必ずと言っていいほど、マズローの欲求五段階が引用されますが、実は筆者はいまだに「自己実現」「自己尊厳」など、やたら「自己」が強調されていることへの違和感を禁じ得ません(他者肯定なしに自己肯定なし)。
人間は言うまでも無く社会的な存在であり(または類的存在であり)、そうでなければ「自己生存」さえ危うい存在なのですから、「自己」単独では「生存」も成り立たず、「安全」も「親和」や「尊厳」や「実現」が成り立つはずがありません。
それを言うなら「相互」でしょう。つまり「相互生存」「相互安全」「相互親和」「相互尊厳」「相互実現」でしょう。よく言われる「承認欲求」も自己本位・自己中心・自己満足のそれでは成り立たず、「相互承認」でしか成り立たないはずです。
2.「自己尊厳」は成長の壁にさえなりうる
筆者自身、「われ以外みなわが師なり」の境地にはなかなか達しえず、「何ごとからも何びとからも謙虚に学ぶ」と言いながらそれを実践しきれずにいます。やはりどうしても「自分」が優位でありたいという気持ちが抑えきれない…
人より優位でいたい…それが「成長」の原動力であるのかも知れませんが、お互いにもっと謙虚に学び合うことはできないものなのでしょうか…徒に優劣を競うのでなく、自己肯定や自己保全や自己尊厳の壁を取り払って謙虚に学べないか…
われわれは人間のことも世界のことも相手のことも、未だほとんど何ひとつ知らないし、何ひとつ考えないし、何ひとつ学んでいないのではないか…それなのに「自己肯定」だ「自己尊厳」だなどと言っていて良いのか…
3.自己肯定感や自己尊厳感は両刃の剣
メンタル障害に苦しんでいる人たちの中には自己肯定感や、自己存在感さえ持てずに苦しんでいる人たちが多いだろうと思います。生きること自体に意味を見出せないで苦しんでいる人も多いだろうと思います。
そういう人たちに対してまず支援すべきことは勿論、自己否定の手を止めることです。自分の心と命を苛む手、それが他者の手であれ、自身の手であれ、その手を止め、その人が自己肯定感や、自己存在感を回復できるよう支援することです。
ただし、それは他者を否定したり、他者の心と命を蔑み、苛むことによって行われるべきでは決してない、と筆者は思います。むしろその真逆で、他者を肯定することを知ることによって自身を肯定することだと思うのです。
4.成長は自己否定と自己肯定の繰り返し
「誉めて育てる」という言葉がありますが、人間性に反するような言動や態度、およびそのもとになる感じ方や考え方を看過して良い、と言う意味では決してないと思います。むしろそれらは看過せず否定すべきだと思います。
ただしたとえ人間性に反するような言動や態度、感じ方や考え方を選ぶその人の人格性そのものを否定すべきではない、その人格性の中からより人間的な言動や態度、およびそのもとになる感じ方や考え方を引き出せば良いだけなのだと思うのです。
生きること自体を否定せず肯定するかぎり、誰でも「より良く」生きようとしているはずです。それを信じて、そこからその人自身にとっても他者にとっても「より良い」選択を一緒にして行くことが人の成長を支援することだと思います。