20240905 追記
気付かないことを責めてはならない(悪気があるのではなく、気付きがないだけ。)
多くの場合、相手はただ単に気付かず、悪気(わるぎ)無くそうしているだけなのかも知れませんので、上手く気付かせてあげることが出来れば相手から「謝る」言葉だけでなく「お礼」の言葉が返ってくるかも知れません。
よく言われるように、混雑の中で足を踏まれたときも、相手にいきなり「足を踏むな」というより「すみません足が…」「混んでますね…」と気付きを促すほうが良いし、わざとらしくない程度に「ミラーリング」をしてみるのも良いのかも知れません。
20240905 記
気付きと気遣いさえあればパワハラ問題もメンタル問題も起こらない…
1.なぜ気付きも気遣いもないのか?
自分の思い通りにならず泣き叫ぶ「赤ん坊」に相手や周囲への気付きや気遣いを求めるのは到底無理な話で、それはむしろ相手や周囲の気付きや気遣いで何とかすべき問題でしょう。「どうしたのかな?」という気付きと「~してあげよう」という気遣い。
これに対して、大人どうしの職場で自分の思い通りにならず怒鳴り散らす「上司」の問題は、ほぼ9割9分その「上司」の問題であって、せめて職場にパワハラ被害やメンタル障害を生じないように人事的に処断すべきです。
人が「成長する」ということのひとつは、相手や周囲の人の事情や心情に気付きと気遣いができるようになる(利己から利他へ)ことであるはずが、「パワハラ上司」はいまだに自己中心(自己優位や自己尊厳?)の本能に支配されているのでしょうか?
しかし一方で相手や周囲の人の事情や心情に気付きと気遣いが上手くできずに、相手や周囲の人を困らせ、実は当の本人が困っている「部下」の問題があって、それはその人の「未熟性」に応じて、本人と相手や周囲との間で適正な役割分担をすべきです。
2.気付くことは教えらえるか?
人は相手や周囲との関わり合いを通じて徐々に相手や周囲の人の事情や心情への気付きと気遣いができるように成長して行くのでしょうから、大人になっても気付きや気遣いが上手く出来ない人たちに対しても同じことをする以外にないと思います。
その際、メソッド(考え方や処し方)としては「コーチング」や「カウンセリング」が有効だと思いますが、筆者の場合は、以下のような「同行(どうぎょう)二人」法を実践し、推奨しています。つまり「一緒に気付き、気遣う」ということです。
(ア)その状況に一緒に身を置く。
(イ)その状況でどう感じるか、どう思うかを一緒に体験する。
(ウ)相手や周囲に対してどのような言動や態度を選ぶかを一緒に選ぶ。
(エ)それによって相手や周囲どう感じてどう反応するかを一緒に体験する。
(オ)それが良かったか、どうすればもっと良かったかを一緒に考える。
(カ)別の状況で(ア)から繰り返し、一緒に学習する。
上のアプローチは、本人の自己認知を高めて問題となる言動や態度の変容を促すアプローチです。本人の人格を尊重し、本人の感じや思いを先ずは肯定的に受容して下さい。本人の成熟度やIQやEQの高低に応じた対応が必要です。