1.マズローが言いたかったこと
マズローが言う「自己実現」の欲求とは、人間の「こうありたい」と希求するところに向けた飽くなき「成長の欲求」であり、生存や安定や親和や自尊の欲求を基礎や前提としながらもそれを超えた人間にとって至高の欲求です。
「仕事をする(働く)」ということが、自己の生存や安定や親和や自尊の欲求の満足にとどまらず、自分自身が「こうしたい」「こうありたい」と希求する目的の達成や価値の実現に向けて動機付けられているということです。
ところで、マズローの言った「自己実現」の「自己」が単に「My Self」という意味なら、文字通りその人間自身(人間諸個人)の「自己実現」が人間一般にとって最高次の欲求だということになりますが、本当にそうなのでしょうか?
むしろマズローが掲げた「16の価値」(真・善・美…)というすこぶる人間的で社会的な価値の実現に向けて、人間は自分自身を内発的に動機付けることができると、本当は言いたかったのではないかと思います。
経済的な財やサービスの創出のためにだけ人は「仕事をする(働く)」のではなく、例えば「(人類の)自由・平和・幸福」という価値の実現のために自己の生存・安定の欲求さえなげうって「仕事をする(働く)」人々が現実にいます。
多くの人々にとって「働く」ことが、自分自身およびその家族の生存や安定や親和や自尊を保つための手段にとどまっていることは「現実」ですが、「働く」ことの意義自体はもっと高いところにあるはずです。
そして「働く」ことを通じた人間的・社会的諸価値は、自己Selfが単独で実現でるものではなく、人間どうしがお互いの独創性と協働性を最適に組み合わせることを通じて初めて実現できるものではないかと思います。
2.「仕事を通じて成長する」という価値Value(仕事をする上での成長段階)
①「指示命令に服して賃金を得る」レベル
新人の皆さんには申し訳ありませんが、知的資本も経済資本も人的資本もなく「資本主義」の世界にひとりで飛び出すということ(筆者自身がそうだったのですが)は、今から思えば何とも「空恐ろしい」ことであったように思えます。
自分の「能力」も「可能性」も「らしさ」も「そっちのけ」にして、最初はとにかく安定的な(「何とか食って行けそう」な)企業の一員になって少なくとも当面「指示命令に従って賃金を得る」しありません。
それでも「指示命令」にもそこに「目的」や「相手」があり、それに「より良く」従うということは、その目的とする価値や相手のニーズに沿うように仕事をするといことであり、その意味でそこには一定の成長段階があるはずです。
②「判断力と指導力で信頼性を得る」レベル
そうするうちに個別具体的な指示命令を受けなくても、一般的包括的な指示だけで、さらには仕事本来の目的やニーズに応じて、自分自身の判断を加えながら仕事を進めることができるレベルに達します。
そしてその判断が徐々に周囲や関係者からの信頼性を増し、その仕事を「一任される」レベルに達し、さらには周囲や関係者から仕事上の判断を求められ、下位者への指導を求められるレベルに達します。
そうすると組織の中で「歯車となって動く」立場から「歯車を動かす(人と組織を通じて仕事をする)」立場になり、より上位の組織管理を行うか、より上位の専門性を発揮する等の途が開けます。
③「仕事を通じて自己実現する」レベル
マズローの言う「自己実現」には、実は何人かの歴史上の人物がモデルとして想定されており、それはいずれも、たとえば「真・善・美」という人間的・社会的価値をその生涯を通じて実現することを通じて「実現」した人々です。
マズローは「自己実現した人々」のモデルを「60歳以上」の人物に求めていたとのこと(「人事労務管理の思想」(津田眞澂著、有斐閣新書)より)ですので、普通の企業なら間もなく「定年」に達するほどの年齢です。
企業の中で組織を思うように動かすにしても企業の外で独立起業するにしても、職業人(経営者または専門家)としての自己確立が先ず必要であり、その上で人間的・社会的価値を実現することが、「自己実現」の意味であるはずです。